仏様の指

栃木県/さくら市/バレーボールスクール/AVANZAR

代表の中田です。

うちのクラブチームでは

県内の小学生・中学生が活躍しています。

先日、出張レッスンをさせていただいた中学校さんから
「ちょっとした練習試合があるから観に来てくれないか」
と、連絡がありまして…

ぜひ、ということで
行ってきました!

保護者枠で(笑)

会場に私が到着すると

「中田さんこんにちは~!」
と、生徒の何人かが声をかけてくれたのですが…

こんにち…おいおい、試合中じゃんか

なんならサーブ打たれる笛なってるし。

そんなことはお構いなしなのが
いかにも子どもらしいです。

その後ちゃんと
顧問の先生に怒られてました(笑)
どんまい。

会場には数校が集まっていたのですが
レッスンに伺ったところの生徒達は
すごく頑張ってくれていました。

他の学校の生徒も頑張っていました。
生徒だけでなく、顧問の先生や保護者まで
ものすごい熱量で応援していました。

スポーツで会場のみんなが
つながっている瞬間でしたね。

一方、熱が入りすぎた外野が
言いすぎてしまう場面もちらほら。

部活あるあるだなあ~と思いながら
楽しく観戦させていただきました。

指導者・保護者のありかた

さてここから本題です。
(長くなってスミマセン)

本来、子どもは自分で成長したがっています。
それを支援するのが指導者です。

何から何まで、
うるさいくらいに口を出す指導者もいます。

子どもをいろいろな面で
指導することは大切ですが

いちいち指示していると
子どもが自分自身で考えなく
なってしまうこともあります。

わたしが以前
自己研鑽のために読んだ本の一説をご紹介します。

仏様の指

「仏様がある時、道ばたに立っていらっしゃると、一人の男が荷物をいっぱい積んだ車を引いて通りかかった。そこはたいへんなぬかるみであった。車は、そのぬかるみにはまってしまって、男は懸命に引くけれども、車は動こうともしない。男は汗びっしょりになって苦しんでいる。いつまでたっても、どうしても車は抜けない。その時、仏様は、しばらく男のようすを見ていらしたが、ちょっと指でその車におふれになった。その瞬間、車はすっとぬかるみから抜けて、からからと男は引いていってしまった。」

という話です。

「こういうのがほんとうの一級の教師なんだ。男はみ仏の指の力にあずかったことを永遠に知らない。自分が努力して,遂に引き得たという自信と喜びとで、その車を引いていったのだ」

こういうふうにおっしゃいました。

そして

「生徒に慕われているということは、たいへん結構なことだ。しかし、まあいいところ、二流か三流だな」

と言って、私の顔を見て、
にっこりなさいました。

私は考えさせられました。

日がたつにつれ、年がたつにつれて、
深い感動となりました。

そうして、もしその仏様のお力によって
その車がひき抜けたことを男が知ったら、
男は仏様にひざまずいて感謝したでしょう。

けれども、

それでは男の一人で生きていく力、生きぬく力は、
何分の一かに減っただろうと思いました。

仏様のお力によってそこを抜けることが
できたという喜びはありますけれども、
それも幸福な思いではありますけれど、

生涯一人で生きていく時の自信に満ちた、
真の強さ、それには
はるかに及ばなかっただろうと思う時、

私は先生のおっしゃった意味が深く深く考えられるのです。

大村はま著「新編教えるということ」(筑摩書房)

子育ては仏様の指で

アバンザールではバレーボールを通して
成長期の子供の自立をサポートしています。

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